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特集 イベントレポート Vol.4

京都藝術 KYOTO ARTS 2010 京都藝術トークイベント 1/2 ~第一部 京都でつくること~

スピーカー:金氏徹平(美術家)/名和晃平(美術家)/ヤノベケンジ(美術家)
聞き手:Antenna(アーティストグループ)/矢津吉隆(美術家)

京都の芸術の全体像を見渡す機会を創出し、様々な施設、団体などの連携を目指すべくスタートしたプロジェクト"京都藝術"。&ARTでは本プロジェクトのメインイベントとして、元立誠小学校自彊(じきょう)室にて2部構成で行われたトークイベントを1部と2部の、2回に分けて掲載する。今回掲載するのは「京都でつくること」をテーマに、京都を拠点とし国内外で活躍する3名のアーティストを迎えて行われた第1部。各自の京都との関わりの紹介から、制作においての場所に対する考えまで、京都で活躍するアーティストの生の声を聞く貴重な機会となった。

photo by OMOTE Nobutada

おもしろい人がたくさんいると思うし、そういう人が居続けることができる場所

田中英行(Antenna):まずはそれぞれ京都という場所に、どのように関わってこられたかお聞かせいただけますか。

ヤノベケンジ : 僕は大阪で生まれたのですが、なぜ京都を拠点に活動するようになったかというと、理由はシンプルで、京都市立芸術大学(以下、京芸)に入学したからです。美術学部の彫刻専攻に入学したのですが、京芸の彫刻科は当時、アジアの大学の中でも一番の設備を誇ると言われていたんです。その時は中原浩大氏、松井紫朗氏、野村仁氏、小清水漸氏、福島敬恭氏など、当時旺盛に制作活動をされていた方々が先生をしており、そういった方々が大学の中で作品を作っていたんです。その現場に学生は否が応でも関わらなくてはいけないという状態でした。僕は関西で最も美術が賑やかだった80年代の中盤から後半にかけて、学生時代を過ごしたのですが、その頃に先生や先輩がやっていた通りに、ものを作るということを刷り込まれたわけですね。大学を卒業してからも、活動が続けられるようにできるだけ早く自分のスタジオを構えようと思い、亀岡の山の中にスタジオを建造しました。94年から97年、ドイツに滞在していたのですが、帰ってきてからも、亀岡のスタジオで制作を続けていました。その後98年に京都造形芸術大学(以下、造形大)に呼ばれて、「どの学科の学生でも使える新しい共通工房を作ろう」という話が、アーティストであり、造形大の教員でもある椿昇さんから立ち上がり、そこを統括してほしいという依頼を受けました。そこで、「どこの制作現場よりも可能性のある場所を作ろう」と考え、ウルトラプロフェッサーが、ウルトラスチューデントと、ウルトラプロジェクトによってウルトラアーティストを育成する機関、ウルトラファクトリーを2008年に始めました。ものづくりの現場を見ることには、ものすごい教育情報量があります。ウルトラファクトリーでは学生、アーティスト、デザイナーなどのアートにまつわる人々が、一線で活躍するアーティストの現場を見ることで、色々なことを吸収するというシステムを導入しました。

ヤノベケンジさん

金氏徹平 : 僕も京芸出身です。僕はヤノベさんよりも学年が13下なのですが、一回生のころ名和さんに紹介していただき、ヤノベさんのスタジオに、泊まり込みで手伝いに行きました。その時の経験は未だに役だっていると思います。ネジの締め方も分からないような状態だったので、本当に一から全部教えていただいた感じでした。そんな状態でも、最初から現場に連れて行ってもらい、展覧会が作られている現場を見られたということは、すごく強烈な体験でした。集まっている人たちもおもしろいアーティストばかりで、すごく刺激的でした。そういう経験ができたのはあの大学だったからだと思います。そういう意味では京都の大学で良かったと思えるところはあります。その後大学院を出て、非常勤をしながら制作を続けていましたが、2年前くらいに状況、心境の変化があって東京に拠点を移しました。その後今年の四月から京芸に就職が決まり京都に帰ってきました。年齢も若く、そんなに活躍していないアーティストでもちゃんと居場所があったり長期間続けられて、しかも展覧会がある時は融通がきくような職があるというのは、京都のいいところだと思います。単純におもしろい人がたくさんいると思うし、そういう人が居続けることができる場所という意味ではいいのかなという気がしますが、僕の作品そのものや、活動するうえでは、京都という場所をそんなに意識していないというのが率直なところです。また、僕はアトリエを持っていないので大学で作品を作ったりしているのですが、学生の中に混じって制作をするということは自分にとっても面白いし、それが学生にとっても刺激になればいいという気持ちはあります。ただ関わり合いというのはその程度で、プロジェクトを起こしたりというのは今のところ何もしていません。

金氏徹平さん

名和晃平 : 僕も京芸に在籍していたころに、ヤノベさんのスタジオに行って、何日かヤノベさんのところに泊らせていただきました。共同生活のような感じで、炊き出しの食事をもらったりしたことを今でも覚えています。最近京都にSANDWICHという自分のスタジオを作り、そこでは学生や自分のスタッフと一緒に半分共同生活ができるようにしているんですが、ヤノベさんのところに行ったときに受けた影響というのは、記憶に残っているんだなと思いますね。SANDWICHは伏見区の宇治川沿いの向島というエリアにあります。もともとサンドイッチ工場だった建物をリノベーションして、スタジオに作り変えたのですが、始めることになった経緯は、造形大のウルトラファクトリーの立ち上げの際に、「何かプロジェクトをやらないか」というお話を、ヤノベさんと椿昇さんからいただいたことがきっかけでした。京都に拠点を作り、そこを作る場所であり、アーティストなどのクリエイターが集まる場所であり、大学外で学生が刺激を受け、学べる場所にしたいと考えました。最初は建物はボロボロだったのですが、学生たちと1年以上かけてリノベーションしました。現在半分以上は完成したという段階なのですが、まだ全部終わっていなくて、毎年少しずつやろうかという感じです。最低限のトイレやシャワールームと、ドミトリールームのようなものがあり、そこに2段ベッドが3つあって、いつでも学生やスタッフが泊まれるようになっています。それからアーティスト・イン・レジデンスも始まっていて、毎年少しづつ海外からも来る人が増えてきています。あとは「ULTRA SANDWICH PROJECT」というウルトラファクトリーとSANDWICHによるコラボレーションプロジェクトもやっていて、このプロジェクトに造形大の学生たちが、がっつり参加しています。SANDWICHは彼らが半分作ったんじゃないかと思えるくらい、雰囲気などを学生たちが作っているんです。これからどんなことを起こすかというのも、学生側から企画してほしいと思っています。その他にもGRAPHIC TEAM、ARCHITECTS TEAM、PRODUCTION TEAMなどを立ち上げて活動しています。今までは自分の作品を制作するだけだったのですが、他のプロジェクトを受け入れやすくなったし、表現のレンジが広がって作品のスケールも変わっていくんじゃないかという予感もしています。

名和晃平さん

京都でやっていても見に来てもらえる

田中英行(Antenna) : ありがとうございました。名和さんはもともと、作品を制作するための場所として、スタジオ淀を持たれていました。SANDWICHに移ってから、今度は京都から世界に発信する場所へと、スタジオという場所の役割が変換された感じでしょうか。

名和晃平 : 淀にいるころ、関西以外のエリアからも海外からも、色々な人がスタジオを見にやって来たんです。それこそ3年の間に何十人と来て、その時に「京都でやっていても見に来てもらえるんだな」と実感しました。また京都で作ったものを、海外で発表していくというスタイルも定着しつつあったんです。それまでは「海外にスタジオを持たないといけないんじゃないか」とか、「東京に行ったほうがいいんじゃないか」ということを人から言われたり、自分でも思っていたのですが、ここ数年の海外での発表活動を通じて、「京都で大丈夫だ」と思うようになりました。SANDWICHでは最初から何かを発信しようと思っていたわけではなく、運営し始めてから「ここならこういうことができるかもしれない」というイメージができてきたんです。

京都藝術トークイベント風景

田中英行(Antenna) : ヤノベさんは色々なところで滞在制作をやってきたと思うのですが、制作する環境として京都はどうでしょうか。

ヤノベケンジ : 僕はどこでもいいかなと思います。どこでもネットワークを作って、引っ掻きまわしていければいいと考えています。名和君や金氏君やAntennaなど、身近なところで若い人たちが大きくなっていたりと、エネルギーが集まっているという感じはするので、それ自体は喜ばしいけれど、京都でなければならないということはないですね。たまたま大阪に生まれて京芸に入って、そこを拠点にやっていった結果どんどん広がっていったというか。自分の周りに渦ができたらいいなと思っているんです。おこがましい意見ですが(笑)。

金氏徹平 : 僕も今京都に住んでいて、京都市の大学で働いているけれど別に場所はどこでもいいと思っています。仕事があるので縛られる部分はあるけれど、なるべくフットワークは軽くしたいと思っています。経済的な理由もあるんですけど、アトリエも持たないことにして、なるべく現場現場で作って行こうと考えています。

京都藝術トークイベント風景

矢津吉隆 : 作品ではなく教育の現場であったり、アーティストが集まる場所としての京都にはどうのような印象を持っていますか。

名和晃平 : 僕より年齢が下の人たちが、京都に居ついてスタジオを共同で構えて、ネットワークを作りだしているというのは話には聞いてはいたけど、京都藝術のオープンスタジオを通して初めて実感しました。なぜこういう状況になってきたのか、僕も知りたいですね。僕が大学卒業するころは全然そういう動きがなかったんですよ。先輩でスタジオを構えている人も少なかったですし、逆に京都からどんどん出ていくような印象がありました。ここ10年くらいで、京都に残って続ける人が随分増えたように思いますね。

矢津吉隆 : 京都にいてもアーティストができるというような思いは、ヤノベさんや名和さんの世代の方が、残って活動されているということの影響もあると思います。

名和晃平 : 先ほどの話で言うと、ヤノベさんや、金氏君が言っていたように、「作る場所とか、観せる場所」という意味では京都が前提になっていないのではないかと思います。でも「教える」というのは重要なポイントだと思います。やはり自分は京都の大学で先生をしているというのが、京都にいる理由になっていますし、それが自分の制作スタイルや、リズムを崩さずに続けられていることの一番大きな要因になっていると思います。僕も大学で教えていなかったら、京都に居続けていないかもしれないと思います。

京都藝術トークイベント風景

人間力が潜んでいないと、人も物も世の中も動かすことはできない

田中英行(Antenna) : 教育の場として充実していたり、作る場所は増えていると思うのですが、作品を観せる機会は京都ではなかなかないと思います。作品を観せる場所として、京都にどういった印象を持っていますか。

ヤノベケンジ : 観せる場は自分で作ったらいいんですよ。僕はウルトラファクトリーという今までになかったような概念のシステムを作ったわけですよ。ファクトリーは作る場所だけではなく発信する場所でもあるんです。また観せる場所と言っても、今やっているオープンスタジオのように、制作のプロセスを観せる方が作品を観せるよりはるかに面白かったりもする場合もあるんです。今回京都藝術、オープンスタジオという形でたくさんのネットワークをつなげたという功績は大きいと思いますね。今日のトークイベントもこれだけの人が集まっていますが、街中の学校を使ってアートイベントを起こすというのは普通はできないと思います。ただ僕は同時にいい作品を作らないとだめだと思いますね。組織を作って、イベントを成功させて満足していたらだめなんです。核になるのものは作品なんですよ。僕はアーティストの立場で言うんですけどね、モノを作ることが第一優先でそれによって渦ができると考えています。いい作品を作っていないと誰も見向きもしてくれないと思いますよ。「作品を作るエネルギー」や「どういう作品が作れるか」といった人間力が潜んでいないと、人も物も世の中も動かすことはできないのではないでしょうか。だから僕はものを自分で作り上げながら、波を起こしたいと思っています。

ヤノベケンジさん

田中英行(Antenna) : 名和さんは観せる場所ということに関してはいかがですか。

名和晃平 : 僕が学生のころは、京都のギャラリーはレンタルスペースが多く、「自分でお金払って借りて、自分の責任で好きなものを見せる」というような傾向が強かったんです。今も半分そうかもしれないですが、それはそれで京都の作家を育てているシステムになっているんじゃないかと思うんですよ。銀座でギャラリーを借りると一週間40万円もするということもあって、関東の美大生はなかなか個展とかができないので、どこかのコンペに引っかかるか、先生に呼ばれるくらいしか展示をする方法がないんです。でも京都だと自力でバイトして個展できるんですよ。そして作品が売れるなんて最初から思っていないから、売れるかどうかを気にして作品を発想しなくていい。そうやって完全に「自分のやりたいことをやる」というところからスタートしているというのは、京都出身の作家の魅力だと思うんですね。東京に行っても京都の美大の名前をいっぱい聞くし、京都出身の作家が多くて不気味なくらいなんです。造形大の卒業生には東京藝術大学の先端芸術表現科の院を受ける学生が多いんですけど、最近はその逆のパターンもあるんです。あと東京のギャラリーが京都支店を出し始めたじゃないですか。10年前から状況はガラっと変わってきているように思います。

金氏徹平 : 京都に観せる場所がないということはアーティストからしたら、そんなに大したことではないのかなと思います。アーティストが出ていったり、京都で観せる場所がないということで、都合が悪い人は、アーティスト以外にいるんじゃないかと思いますね。

名和晃平 : 強いて言えば、なぜ現代美術館が、京都にないのかなということは思います。これだけ現代美術の作家が出ていますし、現代美術館や現代美術の京都市や、京都府がやっている現代美術のスペースはもっとあっても良いんじゃないかと思います。

名和晃平さん
金氏徹平さん

田中英行(Antenna) : ありがとうございました。第二部では京都でアートを見せることをテーマに、美術関係者やギャラリストの方にトークしていただくのですが、「アーティストがどのような思いで京都で作っているのか」というお話を第二部のスピーカーにも、聞いていただきたいと思っていたので、すごくいい意見をたくさんいただけたと思います。

古川きくみ(Antenna) : それでは第一部を終了とさせていただきます。ヤノベさん、名和さん、金氏さん本当にありがとうございました。

京都藝術トークイベント風景
トークイベント 2/2 ~第二部 京都でアートを見せること~ 10月中旬公開予定

スピーカー:
石橋圭吾(gallery neutron代表)
井村優三(イムラアートギャラリー代表)
0000(アートグループ)
塩谷舞(ART DIVE 実行委員、SHAKE ART! 代表)
原智治(京都市文化芸術企画課)
松尾惠(MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w主宰)
森裕一(MORI YU GALLERY代表取締役)

聞き手:
Antenna(アーティストグループ)
小吹隆文(美術ライター)

京都藝術トークイベント 2/2 第二部 記事はこちら
京都藝術トークイベント風景


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