アーティスト紹介

ゆーきゃん

  • 作品集(映像)
  • 作品集(画像)
  • インタビュー
  • スケジュール
  • プロフィール

INTERVIEW WITH YOUCAN 2012.01.18

活動について - その音の中に自分の居場所があるだけで嬉しい

&ART(以下、&) : ゆーきゃんさんが現在どういった活動をしているのか、簡単に自己紹介をお願いします。
楽屋風景 photo by メリケン

楽屋風景 photo by メリケン

ゆーきゃん(以下、Y) : シンガーソングライターとして“ゆーきゃん”という名前で活動しています。ソロの活動の他には、“あらかじめ決められた恋人たちへ”の池永正二さんと2人でやっているエレクトロ・シューゲイザー・デュオ“シグナレス”や、“欠伸”という五人組ロックバンドで活動しています。ミュージシャン以外の活動としては、今年で11年目となるボロフェスタという京都のインディー・ロック・フェスを仲間と一緒に主催したり、Sunrain Records(サンレインレコーズ)というオンラインCDショップを運営したりしています。その他ものを書いたり、CLUB METROのスタッフをしたり、音楽にまつわるあれこれをしながら暮らしています。
& : 色々な活動をされていますが、ご自身が最も「ゆーきゃんらしい」と感じるのは、やはりソロで歌っている時でしょうか。
Y : 自分らしさを感じることはもうすでにないですね。
& : 例えばゆーきゃんさんにとってホーム的な存在のスペースUrBANGUILDで、今まで何度もやってきた曲を一人で演奏している時も、自分らしいとは感じませんか。
Y : 歌い方であるとか作風であるとか、10年かけて築いてきた自分のスタイルはありますが、果たしてそれが本当に自分らしいのかはわかりません。活動を始めてから2年目以降は、自分らしさについて考えたことがないんです。もちろん今おっしゃったように、リスナーにとってはギターを持って歌うスタイルが、ゆーきゃんというアーティスト像に一番しっくりくるかもしれません。でもそれは自分自身が思う自分らしさとはまた別でしすね。“ゆーきゃん”を素材として考えたときに、一番シンプルな形として弾き語りがあるというだけで、それがアイデンティティだとは今はあまり思っていないです。

& : ではシグナレスで演奏している時はどういう気持ちですか。
Y : シグナレスでは、その音の中に自分の居場所があるだけで嬉しいんです。また、「池永正二という人とゆーきゃんという人が共同で、この世界の外側にもう一つの世界を作っている」という行為が、とても純粋な形で音楽になっているところに喜びを感じています。シグナレスだけでなくて、バンドをやったり、色々な人とコラボレーションをしたりする時も同じで、「自分の音が誰かの持っている音と一緒に自分の外にある」と感じる時間が、他の誰かと演奏する中では一番楽しいです。
& : 自分が中心メンバーとして参加している楽曲を、完全に1リスナーとして聴いている瞬間はありますか。
Y : 実はそれが「自分が自分の作った曲に満足できるかどうか」の基準になっています。完成したばかりで余熱が冷めていないような状態の時にはわからないのですが、後から聴き返してみて「この歌詞は果たして本当に自分が書いたんだろうか、このメロディーは自分が作ったんだろうか」と感じる曲に関しては自分自身「世の中に出してもいい」と思えます。ライブのときも自分があたかも演奏していないかのように感じる時や、自分の外に自分の音を出す装置があるように思える時があるのですが、そういう時は後で映像を見返したり、録音した音源を聴き返したり、お客さんの反応を聞くと、いいライブだったということが多いです。
ゆーきゃんさん

作曲について - 木が持っている悲しみと、自分の悲しみが出合う地点

& : 曲を作るときはメロディーを先に作りますか。
Y : ほぼ同時です。ある一つのフレーズが歌詞と一緒になって出てきて、それを膨らませていくとうパターンが多いと思います。
& : 作詞の手順について伺いたいのですが、最新ソロアルバム『ロータリーソングス』に収録されている楽曲『空に沈む』を例を挙げて、どのように作詞をしたか解説していただけますか。
ライブ風景 撮影:佐々木亘

ライブ風景 撮影:佐々木亘

Y : その日は空がとても青かったんですね。それで青い青い空だと思った。その青空をどう形容したらいいのかと考えていたときに、ギターでG のコードを放り投げるように奏でたら一行目の歌詞ができたんです。最初のGで「青が2つあって、それが砂糖を溶かすような深さ」というイメージがするすると引っ張り出されてきた感じですね。アルバムに収録されている段階では、チューニングが変わっていて最初のコードはGではないのですが、最初にできたときはGだったんです。
& : その1フレーズから曲に展開していくときには、そこからイメージを連想していくという感じですか。それとも最初にイメージが引っ張り出された時点で、曲が持つ「情景」「季節」「質感」などはすでに固まっているのでしょうか。
Y : 質感と温度と光の濃度は最初のフレーズで大体決まります。そこからある部分は即興的に、ある部分は一度ノートに歌詞を書き出して、ギターでどういうコード進行にするかを探りながら、物語をつむぎ出していきます。
& : 『空に沈む』の歌詞で印象的だったのが、メロディーや全体の歌詞の流れは、儚い印象に覆われているのに、視覚的な要素を表す単語にフォーカスすると「青い青い空」「西日」「四月の初めの公園」「表通り」など、明るくて美しくて希望を象徴する言葉が使われているということです。明るい情景の中で達観するような独自の世界観がありますよね。歌詞と曲の関係性において、イメージを単純に整理し過ぎないというのは意図していますか。
Y : 意図的に「こういう作詞方法をしよう」ということはないですが、「こうしたくない」という自分なりのセンサーは明確にあります。それを基準に精査していくような感じです。そうやって最終的に残った言葉を組み合わせているから、「拡散しているイメージが一つのフィールドの上に乗っている」という状態になるのだと思います。

& : では歌詞を作るときに「こういう歌詞の作り方をしよう、テクニックを用いよう」といったことは、あまり意識していない感じですか。
Y : 最初にワンフレーズが出てきて、質感と温度と光の濃度が決まった後、ぼんやりとしたビジョンが浮かんでくるんです。後はそのビジョンの中で「どこにカメラをパンするか」「何に触れてみるか」ということを選択していきます。例えばそのビジョンの中で公園が見えたら「公園のブランコについて見てみよう」「そこに咲いている花を見てみよう」といった形でそこにある色々なものを取り上げてみて、ピンと来たものだけを歌の俎上(そじょう)に乗せます。『空に沈む』に関していえば、「歌われなかったもの」が20個くらいあります。言われない、触れられない、扱われなかったイメージによって、その曲のイメージが支えられているということはあります。
& : 『空に沈む』の歌詞にある「子供みたいに 短すぎる季節を奏で ガラスの銃で今日を撃て」だったり、『エンディングテーマ』の歌詞にある「壊れかけの未来をテレビは映している 狂った木樵たちが灰にした西の山」といった、過激な描写もありますが、そういった風景もビジョンの中に自然と現れるのでしょうか。
Y : そうです。そういう光景は、他の曲でもビジョンの中に登場していることがありますが、僕は臆病な人間なのでそういったものに検閲をかけるんです。澁澤龍彦の小説のような猟奇的でグロテスクなものもあるし、村上龍の小説のように人が死んでいくこともありますが、基本的には歌いたくないことなので歌わないです。でもどうしてもその検閲を乗り越えて出てくる言葉もあるんです。子供がガラスの銃で空を打つというのは、残酷かもしれないし、すごく無邪気なこともしれない。ぎりぎり採用した感じですね。
& : 先ほどから主に情景などの視覚的要素について伺いましたが、『月曜日』の歌詞にある「いつになっても分からないだろう いつになっても変わらないだろう いつか居着いたがらくたの中で奇跡を待ちわびる月曜日」といった、達観したようなフレーズが顔をのぞかせたときに生まれる強い共感も歌詞の魅力の一つですよね。これはご自身の経験を歌詞に落とし込んでいるのでしょうか。
Y : 基本的にはそのビジョンの中に見えているもの、そしてその感触や温度といったものについて歌いたいと思っています。しかし、それと同時にエモーションも同じように扱いたいという気持ちがあります。例えば、木が持っている悲しみと、自分の悲しみが出合う地点、夕日のエネルギーと自分のエネルギーが出合う地点を言い当てることができたらいいなと思います。月曜日の「奇跡を待ちわびる月曜日」というフレーズは、特定の誰かが放った言葉ではなく、月曜日の風景自体がその言葉を呼び込んできただけなんです。それが僕の感情かと言われると、ちょっとよくわからないです。よく僕の曲を聴いた人から「何がそんなに悲しいの?」と聞かれることがあります。そういった時は「僕自身が悲しいわけではなく、たまたまそこにある景色がもつ悲しみが、僕のところに転がりこんで来ただけです」と答えています。そういう意味では「自分の経験しか歌わない」と言えます。夢の中で自分の経験と人の経験がごっちゃになることがあると思いますが、その感覚に似ていますね。

京都について - なぜ今京都にいるかというと、単純に居心地がいいから

& : 4/5に京都のレーベルshrine.jpからリリース予定のアルバム『sketches for the tomb mound rhapsody』について教えてください。
Y : 東京で活動しているRent:A*Carというノイズ/アンビエントユニットと一緒に制作しました。彼らはその辺で拾ってきたガラクタのようなものを、その場で手作りの楽器に変えてしまうんです。愛知県豊田市の山奥にフィールドレコーディングしに行き、3日間そこに寝泊まりして作りました。山の中ある飛鳥時代に作られた古墳内の石室や、キャンプ場の東屋などにマイクを持っていき、その中で歌ったりしました。
& : 現在も京都を活動の拠点にしている理由はなんでしょうか。
Y : 僕は2008年春から2年間、京都を離れて東京に住んでいたのですが、その2年間を挟んで京都にいる理由が少し変わったように感じています。東京に行く前になぜ京都にいたかというと、理由は大きく分けて3つです。まず1つ目は僕が音楽を始めたとき京都のPOPミュージック・シーンがすごく盛り上がっていたので、「京都から来ました」というだけで、それなりにアドバンテージがあったということ。当時くるりがメジャーデビューしたばかりの頃で“京都ブランド”がどこに行っても通用したんです。後は京都から離れると自分の作りかけていた表現が失われるんじゃないかという恐怖、そしてボロフェスタというイベントを始めたばかりで、「京都を離れては続けていけないだろう」と思っていたことがあります。一方なぜ今京都にいるかというと、単純に居心地がいいからです。そういうシンプルなところに立ち返ってきました。
ゆーきゃんさん

& : ゆーきゃんさんは富山のご出身ですが、富山、京都、東京と住んできて、都市について感じることを教えてください。
ライブ風景 撮影:山本シエン

ライブ風景 撮影:山本シエン

Y : 都市やシーンや文化の根本というのは、結局場所と人なんですよね。京都に戻ってきて「自分がいかに京都を知らなかったか」ということを考えました。2年間で東京という都市を分かることができなかったように、「京都について知ってる」と思っていたことも、僕が出入りしている場所、会った人についてに話しているだけだと感じています。
& : ゆーきゃんさんは京都を代表する音楽イベント“ボロフェスタ”の主催メンバーですが、イベントを開催し「発表の場を作る」時には、どういった意識/モチベーションで取り組んでいますか。
Y : 今となっては、どういう気持ちであのイベントを続けているのか自分でもはっきりはわかりませんが、「3日間の中に時々現れる“夢のような光景”が忘れられなくて、もう一度その夢を見たいと思っている」というのは大きいです。
& : ボロフェスタ以外にも、様々なイベントを企画していますね。企画側、アーティスト側、双方から見て、京都のシーンがより良くなるためには何が必要だと思いますか。
Y : シーンの最前線で生まれ続けているものについて“証言する人”、“語る人”、“伝える人”が不足していると思います。そもそも地方都市には“目撃する人”自体が、東京に比べると圧倒的に不足しているので、情報が流れ出していきにくいんでしょうね。それで生まれ始めた何かが立ち枯れになったり、地下世界にとどまってしまうということはとても残念です。そういう意味では、僕はボロフェスタを続けることで、ニュースを作りたいと考えているのかもしれないですね。

社会について - 音楽に何ができるのかを考え、僕が辿り着いたのは“音楽を止めないこと”

& : 「音楽でご飯を食べていく」ことを目指している人は多いですが、それが達成できている人の心にも少なからず葛藤があるのではないかと思います。ゆーきゃんさんは、ミュージシャンが音楽活動を続けるうえで、どのような環境がベストだと考えていますか。
Y : 仕事をしながら音楽活動を続けている人たちを見て、「生計と表現の強度を切り離すことができるからピュアな表現ができる」と思う一方で、「プロフェッショナルだから到達できる高みもある」と思っています。金の亡者になってもいけないし、貧すれば鈍すになってもいけない。すべてのミュージシャンが音楽で生活をしていくことが、いいかどうか僕はわかりません。自分自身にとってそれが最良かどうかもまだわからないです。ただ一般的に理想の環境として僕が描いているのは、「自分が納得いくものを納得いくように作って、それが無視されない」ということです。自分自身にとって理想的な環境も「表現に対して正当な評価されること、正当な対価が払われること」です。何が正当かそうでないかというのは感覚でしかないのですが、とても青くさいことだと自分で思いながらも、僕にとっては出演料の額よりも、拍手の温度や、ありがとうの数の方が大事です。
& : 震災後ライブ出演のために仙台に行ったときのお話を伺ってよろしいでしょうか。
Y : 誘われたのか自分から行くといったのかは忘れてしまいましたが、OTOTOYという音楽配信サイトのチーフディレクターで、一緒にボロフェスタの主催者をしている、飯田仁一郎くんが企画したライブに出演するために行きました。企画内容は「東北外のミュージシャンが、東北のミュージシャンと一緒に、おそらく震災後初となるようなライブイベントを作る」というものです。
まだ震災から1カ月程度しか経っていなかったので、高速道路には自衛隊の車両が頻繁に行き来していました。また、仙台市内でもライフラインが復旧していないところがあちこちにあり、地震でヒビが入って取り壊しが決まり、立ち入り禁止となった建物がいくつかありました。そういった状況の中、仙台駅のすぐ裏手のライブハウスでイベントを開催したのですが、仙台のミュージシャン、お客さんなどみんな元気で驚いたことを覚えています。「家が流された」というお客さんもいましたし、「未だに水道や電気が復旧していない部屋に住んでいる」というミュージシャンもいました。彼らがその1ヶ月間をどういう気持ちで生きてきたのか、想像もできませんでしたが、みんなとても活き活きしていて、励ましに行ったつもりが励まされました。
特にあの頃は、京都にいるとわからないことばかりだったじゃないですか。沿岸の街がどうなっているのかとか、原発がどうなっているのか。新聞を読めば亡くなった人の数が毎日桁違いに増えていき、日本はもうだめなんじゃないかと思っていたんです。僕はその時ただ4、5曲歌って、何十人かのお客さんと握手して帰っただけなのですが、現地に行って「凄まじい光景の中に人が生きていて、笑えて泣けて歌える」ということを体感したとき、「大丈夫なんだ」と思ったんです。その気持ちが、昨年一年間僕を色々な場所に向かわせた原動力の1つとなりました。

& : 震災後ミュージシャンの中で「音楽に何ができるか」ということが切実な課題として語られてきました。「一人の人間として何ができるか」ではなく「音楽に何ができるのか」。今回の震災を経てゆーきゃんさんが実感していることを教えてください。
ライブ風景 撮影:寺沢美遊

ライブ風景 撮影:寺沢美遊

Y : 恐らくほとんどの人間は、音楽を欲すると思うんです。音楽を奏でることのできる人間は「奏でたい」と思うし、もっとたくさんの人が「口ずさみたい」と思う。歌を聴いて感動がやってきたら、その感動を拒む人はいないでしょう。「音楽なんて聴く気分じゃなかった」と言っていた友人もたくさんいましたが、それでも僕はいつか人の心の中に音楽は流れるものだと思っています。 あのときに色々な人と話して、音楽に何ができるのかを考え、僕が辿り着いたのは“音楽をとめないこと”です。
& : では最後に伺います。社会全体の中で芸術や文化、そしてゆーきゃんさんが奏でる音楽にはどのような役割があると考えていますか。
Y : 少なくとも僕の表現はすべて一対一だと思っています。「作り手の中から出てきたものが、あなたにはどう聞こえますか」ということが最終的には問題になると思いますし、そういう意味で言うと、「社会に対して音楽ができること」はないと思います。社会を構成する一人ひとりに僕の音楽がどう聞こえて何を思ってもらえるのか。そういうことがやがては社会に繋がっていくのかもしれません。
ゆーきゃんさん


このページの一番上へ