アーティスト紹介

村川拓也

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INTERVIEW WITH  MURAKAWA TAKUYA 2010.08.09

作品について - 「何もない」のであれば、そのままアウトラインだけ提示すればいい

&ART(以下、&) : 京都造形芸術大学在学中に制作したドキュメンタリー映画『迷と惑』が、同大学の舞台芸術学科奨励賞を受賞したそうですが、もとは映像制作をしていたのでしょうか。
村川拓也(以下、M) : 在学中は映像を作りながら、舞台も並行してやっていました。僕の在籍していた学科は映像舞台芸術学科という、映像も舞台も一緒になっているようなところだったんです。そこでは映像専攻で入ったのに、一回生のときにいきなり日本舞踊をやらされるというような変わった教育をしていました。僕は映像専攻だったのですが、当時、大学では宮沢章夫さん、太田省吾さん、松田正隆さんなど、舞台芸術の現場で活躍している人が授業をしていて、舞台科の授業もとっていました。演劇ってよく知らない人にとっては、「暗くてよくわからなくてダサい」というイメージがあると思うのですが、僕も大学に入るまで、高校演劇しか見たことなかったし、そういったイメージしか持ってなかったんです。特に宮沢章夫さんの影響が大きかったのですが、その授業のときに「こんな演劇もあるんだ」ということを知って、ちょっとずつ演劇に興味を持っていきました。
& : 先日アトリエ劇研で上演した『小走り/声を預かる』が地点から独立した後の、1作目だったそうですね。この作品は民俗学者の宮本常一(※1)さんの著書『忘れられた日本人』(1960)、『宮本常一写真・日記集成』(2005)をもとに制作されたそうですが、なぜ宮本常一さんの著作をモチーフとして選んだのでしょうか。
「小走り/声を預かる」 2010

「小走り/声を預かる」 2010

M : まず「日本各地に行って、その土地の人々に話を聞く」という、宮本常一さんのやっていることに共感したんです。著書には、今から半世紀以上前に生きていた人々の生々しい言葉がそのまま書かれているのですが、本を読んだとき、まず「これらの言葉を、今生きている自分たちがどのように扱えるのか」ということを想像しました。ここに書かれていることを現代の若者が口にしたときに、宮本常一さんが生きた時代と、どの部分がかけ離れていて、どの部分が重なるのかという、距離について考えたいと思っていたんです。
& : 公演の3ヵ月前に、『忘れられた日本人』の舞台の一つである対馬に行かれたそうですが、そこではどういったことを感じましたか。
M : どこの港に行ってもコンクリートで整備されていてましたし、宮本常一さんが調査したような、記述すべき文化は完全になくなっていました。もちろん、コンクリートで整備されているのに、船が二艘しかないというような、無駄に整備された港から、戦後の開発の問題など、色々なことを考えられると思うんです。ただそれよりも「結果何もなくなってしまった」という印象が強かったですね。そこで「『忘れられた日本人』に書かれたことを僕らが喋る時、あまりにも大きな溝がある」ということ自体がリアリティーなんじゃないかと考えました。ただ、何もないといいつつ、対馬に一軒だけあるモスバーガーに行ったときに、近所のおばちゃんが、わいわい楽しそうに喋っていたのを見て、これも現代の一つの対馬の姿だということは思ったんです。大げさに言うと、何もない場所にも豊かな人間の姿があると感じました。そういったことと「何もない」ということの、平行線がリアルに感じたんです。

& : 『小走り/声を預かる』を拝見したとき、過去との距離を役者に演技させることで補おうとするのではなく、「何もない」というリアリティー自体を、過不足なく伝えるという方法をとっているように見えました。
「小走り/声を預かる」 2010

「小走り/声を預かる」 2010

M : コンクリートで整備された港を、違う文脈で解釈したり、そこに意味を付け加えていくんじゃなくて、「何もない」のであれば、そのままアウトラインだけ提示すればいいと思います。あの作品では俳優もそういうことを考えていました。近づけないんだったら、近づけないまま立っていればいい。それが宮本常一さんに対する僕の態度であり、リアリティーなんだと思います。

& : 村川さんの作品のテーマには「ドキュメンタリー的なアプローチ」、「またはドキュメンタリーへのアプローチ」ということが一貫してあるように感じます。ただ一般的にドキュメンタリーは制作者の世界観や主観を表現することの重要度が高いとされていますが、村川さんの作品ではそれらを限りなく抑えて作品を提示しようとしているように感じます。
M : そもそも昔から「何かを表現したい」とか、「何かを言いたい」ということがなかったんですね。これはドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったきっかけでもあるのですが、自分から出てくるものに全然興味がなく、作品を作る際は、作るもののネタは、いつも自分より外にあるんです。人任せだったり、偶然面白い人見つけたということからしか作品を作れないし、作ろうとも思っていません。日記も絵も描いたことがないし、舞台作品でも台本も書かないんです。そういうことができないんですね。
村川拓也さん

京都について - 深泥池という場所と、そこに集まる人々に惹かれる

& :&ARTでは毎回アーティストにゆかりの場所や、好きな場所をご指定いただくのですが、今回なぜ深泥池なのでしょうか。
深泥池の風景

深泥池の風景

M : 深泥池は前から気になっている場所なんです。池自体約14万年前、氷河期のあたりからあると言われており、すごく歴史もあるんですね。深泥池の浮島は動物や植物の死骸でできているらしいのですが、池に栄養素がほとんどないらしく、有機物が分解されずに残っているおかげで生態系が保たれているそうです。近くに精神病院があったり、心霊スポットとして有名だったりしますし、そういう磁場がある場所なんです。よく池の周りに車を止めて、タクシーの運転手が車の中で寝ているんですけど、たまに車から降りて、ただただぼーっと池を見ているんです。その姿が好きで、それは僕が見たいと思っている人間の在り方や姿に近いような気がしています。深泥池という場所と、そこに集まる人々に惹かれるんです。

& : 他に京都で好きなところ、街の魅力はなんでしょうか。
M : 色々な人が言っているかもしれないですが、演劇に関することで言うと、稽古場と劇場と家が、自転車やバイクで回れるような距離にあるし、大学があって人材も豊富だと思います。また京都の演劇界のようなものもちゃんとあり、人とのつながりも密接で、環境はいいなと思っています。ただ最近Port Bというユニットの高山明さんという東京の演出家に、「京都は受け皿は広いけど、押しても押しても反応がなくスポンジみたい」ということを言われました。いい意味でも悪い意味でもフラットなところにいるということなどを最近ようやく考えはじめました。なぜ京都かということは今まで考えたことがなかったのですが、最近考えるようになっています。
& : 京都の舞台芸術についてはどのような印象を持たれていますか。
M : 以前大阪で、ある演劇の企画に参加したのですが、そこで大阪の人と「京都っぽい」ということについて話したんです。知的で難解でお高くとまっているようなイメージを、京都以外の関西圏の人はもっているかもしれないですね。確かに京都で現代演劇をやっている人たちというのは、真面目に頑張っているというか、小難しいという印象はあるのだと思います。まあいいんですけど(笑)。

社会について - 常に時代の逆をつくような作品を作りたい

& : 現在の社会と演劇の関係性についてどのように捉えていますか。
M : 最近劇場法(仮称)という法律を作ろうとする動きがあって、それに対して色々なところで物議を醸(かも)しているんです。これは日本にたくさんある、誰も使っていないような無駄な市民劇場や文化会館などを、法律によって変えるというものです。国がお金を出して、そういった公共ホールを選別し、拠点となるようなところにお金を落として、「劇場自体が作品を制作する」という体制を作ることを目的としています。例えばフランスでは、劇団が小屋を借りるというのではなくて劇場が作品を作るんですね。劇場に芸術監督がいて年間の公演スケジュールを作るのですが、芸術監督は演出家も兼ねていて、自分の作品も上演するし、知り合いの面白い人を呼んできてそこで作らせるということもするんです。劇場法はこういった制度をベースにしているのですが、もしこの法律が成立した場合、日本で舞台を制作している人間は、「なぜ国の税金を使っている劇場で、この作品をやらなければいけないのか」ということを、きっちり説明できないと、生き残っていけなくなるんです。もちろん問題もたくさんあって反発する人たちは、「作品のレベルは上がるかもしれないけれど、内々での運営になるし作品のバリエーションが減っていく」「エリートばかりが残り、作品をちゃんと説明できない人は切られる」というようなことを言っています。
& : 芸術に制度を導入することの難しさはありますよね。
M : 僕も劇場法には違和感を持っています。この制度によって説明責任が今までより強くなり、それによって良くなる部分はもちろんあると思うのですが、芸術監督が説明責任を負うことが、結果的に作り手側への圧力に繋がってしまうことを懸念しているんです。芸術監督などの、演劇を成立させるためのプロデュースをする立場の人と、実作者が作品に対する思いに共感して手を組むのはいいと思うのですが、制度によって近くなるというのは良くないと思うんです。僕はそういう関係性の中で作品を作っていきたくないと考えています。アーティストは「呼ばれる」とか、「買われる」といった、立場にいるべきなんじゃないかと思います。「なぜこの劇場に呼んだのか」という説明を、アーティスト側が聞く、という態度をとりたいと考えているんです。もちろん社会に対して説明するということも正論だし、僕の言っていることの方が現実離れしたことかもしれないんですけど。ただ、そもそも識別して淘汰するというようなことが、共同体の在り方としてあまり良くないと思います。それをどんどん推し進めていくと、制度を作る過程で切り捨てたものが見えなくなっていくのではないでしょうか。また、そういった制度の中にいたら、本当に新しいことはできないんじゃないかと思いますし、制度自体を疑うということはできないのではないでしょうか。劇場法について考えることによって、自分のとる立ち位置が自分の中で明確になったと思います。

& : 村川さんは社会の中で芸術が持つ役割はどういったことだと思いますか。
M : 学生の時に、佐藤真さんというドキュメンタリー映画の監督の授業を受けていたのですが、佐藤さんは「ドキュメンタリーは批評的に世界を写し出す鏡である」ということを言っているんです。それをはじめ聞いたときに「ずるい」と思って(笑)。他の芸術が全部そうだとは思わないのですが、僕も、自分が何かものを作る時にそれに近いことを考えています。その時代の姿を写し出す鏡のように、それぞれの観客が自分を投影するというか、観客自身の姿を逆に見せられるというようなことをしたいと思っています。佐藤さんを「ずるい」と思ったのは、そういうことを言うと、政治的なことや思想的なことを中心に据えてやっているように聞こえるんですけど、実際は矛盾を抱えつつ、すごく小さなことを迷いながらやっているからなんです。その在り方には共感しますね。当時はあまり意識していなかったんですけど、今考えると佐藤さんが言ったことや、授業の雰囲気など、自分が何か作るとなった時に、かなりの影響を受けていることに最近気づき始めました。
& : 作品を制作するときにどのようなことを意識していますか。
M : その都度変わると思いますが、時代の状況によって、「こっちの方が面白い」ということを言い続け、常に時代の逆をつくような作品を作りたいと考えています。
村川拓也さん

(※1)民俗学者、1907年山口県周防大島生まれ。渋沢敬三に師事、戦前から高度成長期にかけて日本各地でフィールドワークを展開。
日本の村や島を旅しながら千件以上の民家に泊まり、地域に生きる人々の姿を映し出す。1981年没。「日本の離島」「忘れられた日本人」「民俗学への旅」など著書多数。


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